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77 2007年3月12日

ワープロ専用機の想ひ出

日本で最初のワード・プロセッサは、1978年9月26日発表、翌1979年2月に発売された東芝のJW-10です。「プロジェクトX」でも取り上げられていました。ご覧になられた方も多いと思います。

何と、630万円だったそうです。詳しいことは、財団法人 情報処理学会のJW-10のページを参照ください。写真もあります。

その後、

1979年 シャープ   WD-3000  295万円
1980年 日本電気  NWP-20   425万円
1982年 日本電気  NWP-10N 99万8千円
1982年 富士通   My OASIS   75万円
1982年 東芝     JW-1    59万8千円

どんどん低価格化します。(出典NWP-20 ,■最初の日本語ワープロは630万円もした!

安部公房は日電のNWP-10Nで小説を書いたそうです。未発表作品がフロッピィから見つかったことも話題になりましたね。Wikipediaには、「その当時シンセサイザーを所有していたのは冨田勲、NHK(電子音楽スタジオ)、そして安部の三人のみだった」という記述もあります。モーグかな?

 

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それから・・・・1985年(昭和60年)、当時私が勤めていた学習塾にもワープロがやってきます。

ある日社長が、うちの会社にもワープロを入れることになったが、誰かやってみたい人はいるか、と言い出して、はいはい、私やりたいと手を上げました。

「研修に何日か行ってくれんか?」
「え〜、私一応英文タイプは打てるんで、大丈夫だと思いますが。」
「・・・」

数日後に机一台を占有するマシンがやってきました。説明書見ながら、適当に文章を打ち込んで、プリントアウトしました。
数日後に、納入した業者のインストラクターの人が来て、それを見て感心してくれました。

「めずらしい人名や地名で、うまく変換されない場合は・・」とインストラクター。
「あ、それは、例えば『創一郎』とかだと、『そう』で『創』に変換するよりは、『創造』ぐらいで変換し、後退キーで『造』の字を消す方が速い」と私。
「・・・それでいいです。」

楽勝でした。

楽勝だったために、苦労させられます。ワープロ要員が私の他にも2〜3人いたのですが、その人たちはキーボードの位置がわかっていませんから、スピードが全くでません。

塾生・保護者宛の連絡文書作成が全部私のとこにやってきます。その程度ならそれほど負担じゃなかったんですが、模擬試験の問題用紙、業者に印刷を外注していたのを、安く上げようということで、その原版作成までやってきました。

こりゃたまらんかった。その模試が近づいてくると、中1〜中3まで五教科、15種類の、問題と解答用紙と解答解説を打ち込まされて・・・。他の人も多少は入力してくれましたけど、何せ、1台しかないから。
会社に1時に出勤しますね。(塾ですから昼1時出勤夜10時退社でした。)ワープロの前に座ってひたすら入力。授業の予習もする暇もなく、車に乗って教える教室に行きます。授業が終わって、家に帰らず、また本部に帰って、12時近くまでワープロ。まあ、2時間程度の残業と考えればたいしたことないかもしれませんが、家に帰るのが次の日って・・。そんなに残業代でるわけでもなかったし。

「芸は身を滅ぼすとか言ってなあ・・・」と友人にぐちったりしてました。

私がワープロの前で延々とタイプしていると、「わ!プロ」と、さぶ〜いギャグ飛ばす同僚もいたなあ・・・。

でもまあ、、数学で使う、X, Y, Zの活字が美しくないと言われて外字作ったり、縦書き2段組、ただし、右端だけは、上下ぶちぬきの1段で、とか・・・説明書ひっくりがえして探してもそんな機能ないから、2回刷りというテクニックを開発したり。ええ、「プロ」でした。(いまじゃその程度の機能ならどんなワープロソフトでもありそうですが)

そんなのが半年以上続いたでしょうか、親しい同僚には、あなたもワープロ覚えて助けてよ、とかお願いしていたんですが、若干1名さまがある程度速くなった程度で、それほど負担は減らないし、社長は「やっぱ、もう手書きの時代じゃないなあ」とか言い出して、自塾作成の教材をすべてワープロ化しそうな気配まで見えたので、ワープロ専用で事務員採用するよう強く求めた結果、専門学校卒の人が入社して無事バトンタッチできました。

その人、入社試験のときは、入力スピードが遅かったんですが、しばらくしてその人が入力しているのを見ると、ブラインド・タッチの手の位置が、まったく自己流で、流れるように動いていくんですねえ〜。
2本指で速い人も見たことありますが、その人は2本指でもなし、ま〜独特の手の使い方でした。キーボードの右3分の2を右手が受け持って、残り3分の1を左手が受け持っているような感じ。
それで流れるように打つんですよね、その人。 しばらく見とれていました・・・・不思議な生物を目撃したような。

 

 

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その業務用ワープロをネットで調べてみたんですがよく分かりません。

NECの文豪だとははっきり記憶しているんですが、型番を記憶していない。文豪miniではありません。miniの付かない文豪です。

なんでも80万だか60万だかしたとか聞いたと・・・ここら辺記憶が定かではありませんが、100万はしかなった、30万では買えなかったように思います。
HDDはなく、フロッピィ・ディスクは8インチ。

フロッピィ・ディスク・ドライブが2基あって、ひとつにシステム・ディスク、もうひとつに文書保存用のディスクを入れます。
それでガチャガチャやってました。
ディスプレイは白黒で、黒地に文字が白。っていうか青だったっけ。

プリンターがすごかった。熱転写式で、インクリボン使うやつですが、まず、当然のことながら、独立してます。
けどまあ、プリンター一体型じゃなかったというのがすごいわけではありません。

普通のインクリボンって、カセットの中にインクリボンが入ってて、そのカセットが左から右に移り、そして2〜3行分下がって、再びヘッドが左から右にってやつじゃないですか。
会社にあったminiじゃない文豪のプリンターは、そのインクリボンが巨大。B4サイズまで印刷できましたから、そのインクリボンのサイズもB4サイズ。高さがB4の縦(短い方)の長さで、それが巻物になっているんです。
細いリボンがちまちまと左右に横切って、なんてことはせずに、紙と同じ幅を持つ巨大なインクリボンを豪快に使います。だから印刷スピードは速かった。

無駄もすごかった。例えば、紙の上4分の1ぐらいしか印字しなくても、紙と同じ長さのインクリボンが回っていきますから、印字部分のない下4分の3はまったく使われずに巻き取られます。
ということで、使用済みのインクリボンは、ためし刷り用に再利用してましたね。印字に使用された部分も、かすかに判読できるぐらいの濃さにはなりましたから。

ね、すごいでしょ?・・・・・って、そうだ、FAXのインクリボンも紙幅と同じですよね。そうたいしたことじゃないか・・・。

 

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miniじゃない文豪を探して、見つけた中で一番詳しいのが、「日本語情報処理の諸相:文豪,JIPS,M式入力などの日本語情報処理開発」(PDF文書)です。

それによると、文豪という名前がついたのは1981年のNWP-20Nから。その後色々な機種がでるのだが、「熱転写PRとKSPの2種をサポートした」という記述がある1985年の4月のNWP-5Vというのが一番それらしいのですが、残念なことに画像がないです。(KSPというのはドットプリンターの一種らしい)

 

 

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私が最初に買ったワープロです。いついくらで買ったのか分かりませんでした。88年10月のカタログで128,000円ですね。

本当は、これ以前に同じSanyoの液晶のラップトップ・ワープロを買っているんですが、これはやっぱり1行表示じゃ使い物にならないと、ダイイチに無理言って返してしまいました。と言っても他に買うものがすぐには思いつかなかったので、しばらくほったらかしにしておいて、そのうち、EDベータを購入しました。

物好きな方は、画像をクリックしていただけると、もっと大きな画像が別枠で出てきます。

 



(手前にある黒いのはマウスじゃなくて別売のイメージスキャナです)

何で文豪にしなかったのかは覚えていませんが、このサンワードもいい機種でした。

画面分割は重宝しました。画面分割して、2種類の文書が呼び出せます。その2種の文書で、データのやりとりが簡単でした。後にパソコンを買ったとき、一太郎やWordで同じことを試しました。似たようなことは出来るんですが、操作がとってもまどろっこしい。マウスでやっても、Ctrl+CとかVとかやっても、いずれにしても、Sanyoのワープロの方が楽でした。

そのうち画面が狭いのが不満になって、こいつは後輩にうっぱらって、新しいのを買いました。

 

 

「なんともはや」なデザインですなあ。見開きはもっと、なんじゃいな、これ、でした。

 

 

う〜ん。ウルトラマンをなんで使わなかったのでしょうか?予算の関係か、円谷プロの許可が下りなかったのか。

 

 

スペック的には・・・ワープロでスペックって言っても何ですが、CPUはIntelの286(16ビットです)を使って処理速度が大幅にアップなんだそうです。「コードネームは286」なんて、ね。

こいつの購入記録は発見できました。

1991年(平成3年)1月26日、オプションのカットシートフィーダー込みで、185,400円也。
カットシートフィーダーは普通紙ならよかったんですが、感熱紙だったらうまく紙を吸い込まない、で結局あまり利用できませんでした。

当時は、ひとつの教室にへばりつくということはなくて、今日はあっち、明日はどっち、本部に机は貰っているんだがそこに座るのは週に数日・・・デスクトップを持ち運びする気にはならないので、もう一台買ってしまいました。

 

 

 

1991年10月21日 82,800円なり。処理速度はウルトラマンの方が速かったですが、何でこんなに安くなるの〜?
私がウルトラマン買った数ヵ月後にこのビジネスマンでてるみたいですぅ。

このビジネスマンは、高校時代からの友人に、半ばというより全く押し付ける形で頂いてもらって処分しました。その友人はワープロは結局使わず、そのうち時の流れに従ってWindowsパソコンを購入しました。お仕事で使っているようです。税理士さんで、パソコン付きの業務用ソフトとかページプリンタとか買ったらしいです。う〜ん、パソコン詳しくない人にはそういう「甘い商売ができるんだなあ」と内心思いました。(が、まあ、暴利の多くがセールスマンへの報酬と手厚いアフターサービスで消えるとしたら、企業の利益という点では別に「甘い商売」でもないのかも知れませんが)

そのうちうちの塾でもパソコンを導入しましたが、最初は文書清書マシーンとしてではなく、生徒管理ツールとしてでした。腕に覚えのある同僚がBasicでやろうとしたらしいですが、新人さんが「桐」を使って仕上げました。

他の新人さんも、自分のパソコン持ち込んで、ARUGAというあまり知られていないワープロで数学の問題とか作っていましたね。

そして、ついに、1994年2月、私もパソコンを買いました。でも文書作成は手馴れたSANYOのワープロ専用機でやってましたが。

よのなか全体がワープロ専用機から、パソコンに移っていきました。Rupoが最初に撤退を宣言したように記憶しています。

最後のワープロ専用機はシャープの書院で2001年末に生産終了、出荷も2002年末に終了だそうです。

最初のワープロ専用機が誕生して20年ちょっとですか。人間だったら夭折とか言われそうな短い人生です。

 

 

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で、このウルトラマンもどき君は、部屋の片隅でお眠りになってます。ちょっと起こしましょう。

 

 

布団かけて貰ってる・・・じゃなくて、SANYO純正のカバーまで付属していました。

 

ほんと久しぶりのご対面です。

 

 

は〜い、起きましょうね。

 

 

お〜お〜、無事起動するじゃありませんか。

 

 

これで作った文書がFDに(容量一杯まで使ったHDのFDに)15枚ぐらい残っています。(当時のワープロとか使ったことがある人はFDを1枚一杯にするというのがどれほどの仕事量かお分かりかと・・・。)
このワープロで作った文書は、(テキストだけならMS-DOSファイルに変換できましたが)ファイル変換ソフトを会社で買ってもらって、データを一太郎文書に変換してパソコンに移してつかいました。
3.5インチ万歳!(8インチじゃこうはいかない・・・)

今回これも捨てる候補だったんですが・・・美品です。なんか捨てるのが忍びなくなって、もうちょっと記念でとっておこうかと思いました。

 

 

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