さ み だ れ 雑 記 | 71 | 2004年9月9日 |
岡山県真庭郡湯原町都喜足(昭和35年7月)
子供のころ毎年夏になると温泉に行ってました。
温泉の目的は父の湯治で、1泊2日とかではなく、最低4・5日はいたでしょう。山の中で何もない。当時は旅館にテレビもない頃でした。多分退屈だよう、帰りたいよう、と思った頃、ようよう帰ったのでしょうか?覚えてないですが。
母の話だと、温泉宿には大阪の方から1ヶ月以上も滞在していた人もいたそうです。今でも本格的な湯治場にはそんな方々がいるようです。
父の病気は水虫でした。父から貰った水虫を未だに飼っている私だったりします。
父が この山間(やまあい)の温泉によく来ていたのは、ぬるい湯で長い間浸かっていられるからということと、安いから、ということだったらしいです。湯原なんかは高くて、と母が言ってました。津山に住んでいたので、湯原・湯郷・奥津と「美作三湯」には全部行ってるはずですが、湯原・奥津の記憶はなくて、湯郷は、今は無いようですが、ストリップ場の前をコワゴワ通った記憶があります。「大人の人が騒ぐ何か恐そうなところ」という印象です。
私にとって温泉といえば毎年行った足温泉です。しかも夏行っていたので、「温泉といえば夏」でした。世間では「温泉といえば冬」らしいと知ったのはとうに40も過ぎてのことでした。足温泉が安かったのは、山の中で回りに遊ぶところがないということに加えて、内湯がない!ということもあったのでしょう。共同浴場が一つあるだけで、皆、旅館から歩いて共同浴場へ行くのでした。
これがその共同浴場です。勝山から湯原へ行く途中、川向こうにこの温泉はありました。原っぱのようですが、手前に水の流れが見えます。
「足温泉」と書いて「たる温泉」と読みます。何で足が「たる」と読めるのか、今となっては「満ち足りる」の「たる」だと分かるのですが、この写真が撮影された当時わたしは5歳です。分かるはずもありません。さて、足温泉は川の向かい側で、橋を渡っていきます。その橋はつり橋でした。
川を渡って足温泉側から撮影された写真です。向こうの道が国道313号線、川は旭川。橋の名前は「たる橋」と読めます。
母と当時5歳の私です。何故か手の具合が「気をつけ!」っぽいです。
それにしても老朽化した橋。木がかなり腐食してます。この橋を自動車で通ったのです。けっこうなスリルだった記憶があったりします。
兄とのツーショットです。なんかどの写真も私はべそをかいてるような感じです。兄の左に共同浴場が見えます。共同浴場の下、川の土手に写っているのは露天風呂のはずです。
この共同浴場まで歩いて、朝昼晩3回ぐらいは通ったはずです。共同浴場には男湯、女湯、そして家族風呂がありました。家族湯に入るときの微かな記憶が残ってます。中の湯船の記憶はなくて、入り口に入っていく記憶です。変なの。
毎年欠かさず来ていたはずですが、あまり記憶は残っていません。裏山のようなところへ行って蝉がやたらとうるさかったぐらいです。旅館にテレビが無い時代ですから、宿題や色々本でも持っていってたんでしょう。
その裏山からの写真です。右に見えるのは国道313号線のはずです。今見たらどこの山道って感じですが、当時は都会の道でも舗装されていない道の方が多かったです。アスファルトじゃなくてコンクリートだったと記憶しています。
この山道のような国道をバスが通っていました。バスガイドさんがいて、「♪田舎のバスはおんぼろ車♪」ってやつですね。でもうちは商売柄車は早くから持っていたので、最初は津山から勝山まで国鉄、勝山からバスだったのが、そのうち自家用車で、ってことになったと思います。そんで自家用車であの「木のつり橋」を渡るんですね。揺れた、と思います。
来るのは決まって夏でしたが、一度冬に来たことがありました。寒い朝、雪を見ながら歯磨きをしている記憶があったりします。たしか1階の狭い部屋だったのが、二階の広い部屋が開いたというので場所換えして、元旦の時に目出度いからかどうか、鯉のあらいが出ました。鯉を食べたのはそれが初めてですが、それ以上にびっくりしたのは、その鯉は旅館の池で泳いでいた鯉だと聞かされた時。味は覚えていません。ついさっきまで泳いでいたというのがショックでした。「う〜ん、ボクこれ食べてもいいの?罰があたるかも?」でしょうか?それとも「う〜ん、ボクこれ食べてもいいの?あの池汚いんだけど?」でしょうか?
今回の写真を撮影したのは父だと思ってました。が、上の写真で兄が持っているのは、カメラ。ということは、兄の写っていない写真はかなりの確率で兄が撮影したもののようです。兄は中学の時から写真に凝って家に暗室を作ったり、アマチュア無線をやったりという人ですが、8歳当時からませてたのね。
最後にお見せするのが、多分兄が撮影した母のポートレット。当時32歳です。
足温泉の写真はこれだけです。津山から岡山へ引っ越してからは足が遠のきましたが、それまでは判で押したように行っていたはずです。でも、手元には35年と書いた写真しかみつかりません。
足温泉は、今では橋も、共同浴場も、いつも泊まった旅館もすべて建て替えられています。温泉もしっかり温めているようで、昔の記憶ほどぬるくありません。(ちょっと寂しいです。温泉はぬるくなくっちゃ、という私です。)