さ み だ れ 雑 記 | 51 | 2000年4月22日 |
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ランラララン ララララランランです。朗らかです。
昭和29年、岡本敦郎歌う「高原列車は行く」です。
歌詞もシュールです。高原列車からハンケチ振れば、花束なげるのはアルプスの少女でしょうか?
かと思うと、観光バスで温泉旅行です。まあ、「無国籍ドメスチック」という言葉が頭をかすめたりしますが、それは置いておいて、「朗らか」です。
こういった<朗らか>は現在はもちろん、私が物心ついた頃から、すでに虫の息だったと思います。
<朗らか>は胡散臭い
そんな感じだったのではないでしょうか?
<朗らか>に引導を渡したのはおそらくロックンロールだと思います。この不良の音楽の方が、健康優良児の<朗らか>よりリアルで魅力があった。
<悩み>があれば<朗らか>にはなれません。<彼女が欲しい>という<悩み>を持っている青年は<朗らか>にはなれないのでした。
汽車の窓からハンケチ振ればわきゃ〜ね〜だろ〜!
牧場の乙女が 花束なげる
と思ったとき、その人は<朗らか>にはなれないのでした。
で、まあ<不良>という<毒>を愛好する人は一気にロカビリーに行ったのだと思いますが、そこまで徹底できないが、<朗らか>にもなれない一般大衆は、<爽やか>に行ったのではないでしょうか?
<悩み>があっても、それを<爽やか>に乗り越えることはできる。ということで、<若大将>加山雄三がメジャーになったのじゃないでしょうか? 加山雄三はランチャーズを率いてロックもやってましたが・・・。
(私の高校時代には<爽やか>さえ既に胡散臭かったような・・・醒めた目をしたおね〜さんが、ぼそっと「バカ」と呟くとか・・・)
さて、<朗らか>の元祖は、『丘を越えて』でしょう。時は春、場所は田園、キーワードは旅行、英語でいうとexcursion [行楽・遠足・遊覧旅行]。
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永遠の名作の一つでしょう。
(あ、戦前もので1曲だけ挙げるとすれば「一杯のコーヒから」ですが・・・)
と、これから私に力があれば、歌謡史における<朗らか>の系譜について縷々述べていくことになるのであるが、当然ながら非力な私は、一人の、どうも過小評価されていると思われる人物を取り上げてお茶を濁すのであった・・・その人の名は
中野忠晴
あがた森魚のファンには「小さな喫茶店」の日本語バージョンで知られている人である。(原曲はコンチネンタル・タンゴだそうな)
「山寺の和尚さん」でも有名で、上のジャケットにも猫を抱いた和尚さんのイラストがあるのだが、何故かCDには収録されていない。と調べてみると「山寺の和尚さん」はコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ名義である。『服部良一/僕の音楽人生』(コロムビア72CA-2740-42)の解説によると、
ジャズ・ソングを歌っていた中野忠晴が日本人のジャズ・コーラス・グループの養成を企て、ナカノ・リズム・ボーイズを結成して、昭和9年の「山の人気者」でデビューさせ、続いて「ダイナ」「タイガー・ラグ」「バイバイ・ブルース」など、アメリカ・ジャズ曲を日本語のコーラスで録音した。(瀬川昌久)んだそうである。何じゃ中野忠晴本人は録音に参加していないのであった。で聴きたい人は服部良一3枚組をどうぞ・・。
上のCDに収録されている曲では「山の人気者」「ダイナ」「ミルク色だよ」「口笛が吹けるかい?」「小さな喫茶店」「バンジョーで歌えば」ぐらいがお薦めである。
ベストは「山の人気者」と「小さな喫茶店」。この2曲がつまらないという人は、このページを即刻御退場願いたいほどの名曲である。
「ミルク色だよ」は"Careless Love"である。ディック・ミネの「たのし春風」も"Careless Love"である。中野忠晴もまずまずである。
「口笛が吹けるかい?」も軽快朗らかである。歌詞に「朗らかに 歌おうよ」とあるように朗らかである。これもいい曲である。
が、まあ、そんなものである。 (と、軽い扱いであるが、後が長いのである。急ぎ足〜)
中野はディック・ミネなんかと違って黒人の影響が薄い。ディック・ミネを聴いて「黒っぽい」とは今の感覚では思わないと思うが、中野忠晴と比べたらこれは遙かに黒っぽいのである。いまだに私は聴いたことがないが、キャブ・キャロウェイの「ハーレムから来た男」なんかまでディックは歌っているのである。中野はアル・ジョルスンのカバーをしている。「可愛い坊や("Sonny
Boy")」であるが、これがつまらんのである。
巻き舌でキザなディック・ミネは今でも評価が高いが、中野忠晴の評価は低い、というか話題に登らないようなのである。それは一つには「黒人音楽」の影響の薄さでもあろう。しかしそれ以上に<不良>のディックと<朗らかさ>の中野にあるのではないだろうか?
<不良>のディックは「軍歌を歌わなかった」ことで有名であるが、<朗らか>な中野は軍歌を歌っている。
たとえば、「露営の歌」である。
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昭和12年、始まったばかりの日中戦争をテーマにした歌詞を大阪毎日新聞が募集、この歌詞はその2位入選だそうである。(戦時中は英語が御法度、ストライクは「よし」ボールは「だめ」とかいう話であるが、昭和12年は「タンク」はOKだったらしい。。。。)
ディック・ミネは<不良>で、<不良>は<悪い人>である。「軍歌」はイヤだ!と言えるのである。
中野忠晴は<朗らかな人>で、<朗らかな人>は<いい人>である。<いい人>は、イヤだ!と言えないのである。「問題行動が起こせない」んである。天皇陛下のために<朗らかに>にっこりと笑って死ぬのかどうか知らないが、少なくとも録音依頼があると<朗らかに>応じるのである。
さて、「露営の歌」である。
オリジナル録音(歌手:中野忠晴・松平晃・伊藤久男・霧島昇・佐々木章)は決して威勢のいいものではない。何か元気が無くて暗かったりする・・・。
日本軍は旅順以来(かどうか、戦争史に詳しくないのであやふやだが、)兵隊さんの命を粗末に考えては無謀な肉弾作戦を強行するという言語道断な悪癖があるのである。(リメンバー・インパール作戦!)
そんな日本軍の赤紙を受けて、出兵する兵隊さんたちための「露営の歌」である。
「戦争はイヤだ!」といえない兵隊さんたちが、自分を無理矢理鼓舞するために歌った「露営の歌」である。歌詞も「戦だ! いざゆかん!」という威勢のいいものでは決してない。
夢に出て来た 父上にである。
死んで還れと 励まされ
醒めては睨むは 敵の空
思えば今日の 戦闘(たたかい)にである。(ここなんか「反戦歌」である。忘られぬ理由は「友の犬死」である)
朱に染まって にっこりと
笑って死んだ 戦友が
天皇陛下 万歳と
残した声が 忘らりょか
何故「鳴いてくれるな 草の虫」と頼むかというと、これは勿論「東洋平和のためなれど、命は惜しい」からである。虫の音を聴くと<正気>に戻るからイヤなのである。
長々と「露営の歌」全歌詞引用しましたが、この歌詞読んで、だれが「私も皇軍の兵士になって戦地へ赴こう!」と思う? 「赤紙来ませんよ〜うに」と密かに願うのが関の山じゃないのかなあ?・・・という多分その理由で、コンテストの第1位になれなかったのではないでしょうか? そして、兵隊さんの「愚痴」が入っているから、当時共感を得たのではないでしょうか?
さて、冒頭に戻って、昭和29年、岡本敦郎歌う「高原列車は行く」である。
ランラララン ララララランランと
勝って来るぞと 勇ましくには、共通項があったりする。
誓って故郷(くに)を 出たからは
手柄たれずに 死なりょうか
作曲がどちらも、古関裕而なのである。古関はモスラの歌なども作曲している人である。
「高原列車を行く」を作曲した<朗らか>な古関が「露営の歌」を作曲し、それを「山の人気者」の<朗らか>な中野忠晴が歌う・・。
とか書きましたが、一定の<現実感覚>があれば<朗らか>にはなれないのでした。汽車の窓からハンケチ振ればわきゃ〜ね〜だろ〜!
牧場の乙女が 花束なげる
と思ったとき、その人は<朗らか>にはなれないのでした。
この世知辛い世の中で、四六時中<朗らか>でいると
<朗らか>は胡散臭い
とか、さらには
バカちゃう?
と思われます。
巻き舌でキザなディック・ミネは今でも評価が高いが、中野忠晴の評価は低い、というか話題に登らないようなのである。それは一つには「黒人音楽」の影響の薄さでもあろう。しかしそれ以上に<不良>のディックと<朗らかさ>の中野にあるのではないだろうか?と書きましたが、現実離れした<朗らか>よりも、リアルな<ブルース系>(ジャズ・ロックンロールのことです)の方が現代の評価は高い、ということなのでしょうか?
本当は<朗らかさ>の復権を強調したいんですが、<朗らか系>の二人がそろって「陰気な」(「勇ましい」ではない)軍歌に関わっているのがどうも、納得できないなあ、の、煮え切らない雑記でありました。
もうちょっと良く分からないんですよねえ、<朗らか>と<軍歌>がどこで「通底」しているのか・・・。
まあ音楽的にはどちらも「行進曲系」です。また<朗らかさ>を支える「夢見る力」が「大東亜和共栄圏の夢」を見たのかなあとも考えましたが、いまいちピンとこないし、まあ人の良さという線でまとめましたが・・・。
でも、「高原列車は行く」は、私好きです。
ランラララン ララララランランのインパクトは強烈ですよ〜。やっぱり。
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