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49 2000年4月1日

CD案内・佐藤千夜子*東京行進曲
 

 
 (ビクターVICL-60326)
 

佐藤千夜子なんぞ、取り上げるつもりはなかったのである。

音程は不安定だし、リズム 感ゼロだし、魅力的な声でもなし、いいとこ探すのが難しいのである。佐藤千夜子より下手な歌手を探すのが難しい・・・と言いたいのだが実は最強の音痴がいるのである。
その人の名は松井須磨子。カチューシャの唄こと復活唱歌である。機会があればぜひ聞いていただきたい。悶絶ものの下手さなんである。(幸町図書館が利用できる人は、『小学館CDブック 昭和の歌』の1で聴けます)

しかし、当時、昭和初期(および大正末)は、下手で当然なのであった。

我らが二村定一でさえ、「楽譜が読める」ということで重宝がられたのである。まあ、現在も私みたいに楽譜が読めない人間もいるが、当時、「楽譜が読める」=「レコード出せる」と言い切ると大げさであろうが、それに近い物があったのである。

今回の佐藤千夜子に関しては初期の歌謡曲界の人材不足、であろう。佐藤も音楽大学中退組である。少し後年になる藤山一郎とか淡谷のり子も音大関係者である。「楽譜が読める」という能力は当時希少価値だったのであろう。

さあて、ここまで下手さを強調された佐藤千夜子であるが、この雑記に取り上げられることにあいなった次第はCDの解説(南葉二)を読んだからであった・・・・
 
 
 

 昭和の初め、現代流行歌の草分け時代、ビクターの、いや日本歌謡界のクイーンは佐藤千夜子でした。ビクターの第1号歌手として昭和3年に吹き込んだ「波浮の港」「当世銀座節」が大ヒット、続いて翌年の「東京行進曲」「紅屋の娘」「愛して頂戴」と、彼女の歌声は日本全国にあふれていたものでした。 
 山形県出身で、上野の音楽学校に学んでいた彼女が、中退して中山晋平の作曲した童謡や新民謡をうたって、レコード以前からその声価は高かったものです。
うう、こ、こんな下手な歌手が何故に? である。よっぽど人材不足であったのであろうな、である。ところが、何を勘違いしたのか・・
 
 
 しかし人気歌手として日本一の座にありながら、彼女は流行歌の世界で満足することはできなかったのです。同じビクター盤でも世界の一流アーチストでなければ吹き込めない”赤盤歌手”になりたい。そして、プリマドンナとして世界最高のオペラの殿堂であるミラノのスカラ座でうたいたい・・・・・・
 

”赤盤歌手”とは「我らがテナー」藤原義江を意識してのことであろう。彼の「出船」「出船の港」はアメリカ録音で「赤盤」の第1号となったそうである。「赤盤」は通常の「黒盤」に比べて高級なのである。お値段も高いのである。

けどまあ、藤原義江は、私の趣味じゃないが、上手か下手かというと、これは上手である。佐藤と比べたら誰でも上手になってしまうが、佐藤と比べなくても上手である。本来はオペラの歌手であるが、タンゴなんかも歌っている人であった。ま、佐藤さんも、藤原さんと同じぐらい、あるいはそれ以上の人気はあったのかも知れませんよ、けどあの音程不安定、リズム感皆無、おまけに”朗々たる”藤原に比べれば明らかに音量もないんですが、佐藤さん・・・・
 

・・・・・・こうした思いは、炎のように一日、また一日と燃えさかって、ついにとまらなくなってしまいました。そして昭和5年の秋10月、彼女は人気絶頂の歌謡界を捨てて、イタリアに向かって船出したのでした。
 

くわ〜、無謀だ〜〜
 
 

 しかし、金を使い果たして、昭和9年の暮れ、4年ぶりにやっとの思いで帰ってきた日本では、佐藤千夜子の名は、すでに忘れられたものになっていました。それから彼女は表面的に出ることなく、栄光への夢を見続けながら、ずっと裏通りで生きてきました。 
 戦後は売り食い生活から、家政婦、掃除婦までしながら、そして栄光の時から40年経った昭和42年の暮れ−東京、新宿の大久保病院で治療を受けながら、もう一度スポット・ライトを浴びてうたいたいと、泣いて念じつつ寂しくその波乱に満ちた生涯を閉じたのでした。
 

ん〜・・・。

すこし私見を述べると、昭和の8年ごろから歌謡曲がだんだん歌手も伴奏も水準が上がってくるように感じている。であるからして、

昭和9年の暮れ、4年ぶりにやっとの思いで帰ってきた日本では、佐藤千夜子の名は、すでに忘れられたものになっていました。
というよりは、昭和9年ごろ佐藤のように「下手な癖して気位だけは高い歌手」はお呼びでなかったのじゃないかと思いますです、はい。

良くわかんないですが、「現役歌手」ではお呼びがかからないとしても「懐メロ歌手」としてもお呼びがかからなかったのでしょうか?

う〜ん。寂しい。

と佐藤に同情的になってしまった私は、佐藤の「下手さ」も何故か慣れてきて、まあいくら慣れても「上手い」とは思いませんが、それなりに「良さ」も少しはあるかなあ、と。

一番は「影を慕いて」ですね。

一般的に藤山一郎がオリジナルと誤解されていますが、この佐藤盤は昭和6年1月発売。藤山盤は昭和7年2月発売で、佐藤がオリジナルです。二つともギター伴奏のみ。多分古賀政男本人のギターなのでしょう。

私は佐藤盤の方が好きです。一番の理由は「思い入れ」が無い歌い方だから。

藤山盤も今の基準でいうと「思い入れ」のない歌い方であるが、それでも「丁寧な」歌い方で、「歌詞を聞かせる」ような歌い方。

それに比べて、佐藤盤は「お前は歌詞を読んだことがあるのか!」と言いたくなるような、「叙情」とか「しみじみ」とかとは縁のない「パンク(ロック)のようなアナーキーさ」と言いましょうか・・もちろん意図的ではなく天然の結果としてのパンクですが・・で、「影を慕いて」ってメロディ綺麗だなあ、とか思ったりします。(欲を言えば佐藤の声がもそっと安定してたらいいんですが〜。無いものねだりよね〜。)

他の曲は?というと、「ゴンドラの唄」ぐらいでしょうか?これももっと他の歌手でいいのないかなあ?メロディは綺麗だし歌詞もおセンチで好きなんですが・・・。

他は?う〜ん。曲は中山晋平が多いですが、駄作ぞろいです。(言っちゃった)

強いて挙げれば「黒ゆりの花」という曲が、上野・・耕一でしたっけ、あの戸川純と組んでゲルニカした人、その人の「古色蒼然」系に似ていて(ちょっとだけね)ま、一応聴ける。と、この曲、作詞:時雨音羽、作曲:佐々紅華の「君恋し」コンビでした。(昭和4年10月発売)
 

え?

何か忘れていないか?

あ。

はいはい。みなさまご存じの「愛して頂戴」は当然収録されておりますです、は〜い。

え? 「何じゃそれ?」

ご存じない?

ま、その、ですね、「愛して頂戴」は橋本治『恋の花詞集』愛読者には有名ですが、一般的には知られていませんですね、はい。

作詞:西条八十、作曲:中山晋平の「悶絶ソング」ですが、「天然ボケ」とでもいいましょうか、本人にはその気はなくても、「結果としてのゲテモノ」・・・
 
 

ひと目見たとき 好きになったのよ 
何が何だか わからないのよ 
日暮れになると 涙が出るのよ 
知らず知らずに 泣けてくるのよ 
ねえねえ 愛して頂戴ね 
ねえねえ 愛して頂戴ね
 

という歌詞を、音程は不安定、声は高音でひっくりかえる、情緒なんて糞食らえ的「結果としてのアナーキー」な歌い方で歌います。

最初頭くらくらするのが普通だと思います。一聴の価値は十分あるとは思いますが・・・「愛聴曲」にはなりませんでした・・・・しかし、愛聴してる人っているのかなあ? 面白がっている人は沢山いると思いますが・・・・・
 

何故か予定より長文になってしまった佐藤千夜子編でした。

(CD買わないでね。買ってもいいけど、つまらなかってって「文句」は言わないでね〜。「報告」ならいいですけど〜。金返せとか〜。私、口が裂けてもこんなCD推薦なんてしませんから〜。)(う、かわいそうな佐藤千夜子・・・・)

んじゃ、またね〜。
 
 
 

 
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